読書:教養主義の没落-変わりゆくエリート学生文化


教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)

総合雑誌は知識人の公共圏を形成する媒体であった。P19
教養主義の根っこにある人格主義も左傾化に連続している。酒を飲んだり授業をさぼる享楽型、効率よく暗記し授業でよい点を取り好ましい就職先を探す体制同調型を、左傾学生はことさら嫌う。彼らはマルクス主義に「個性の発展」「人間的成長」を見出したのだからマルクス主義は論理テ的ストイズムであり、教養主義の核をなしている人格主義と連続していた。したがって教養主義の内面化が強いものほど左傾化しやすかったのである。P52 マルクス主義が知的青年に、教養主義的空間の中での象徴的上昇感覚を与えた。
教養主義を内面化し、継承戦略をとればとるほど、より学識を積んだものから行使される教養は、劣等感や未達成感、つまりきはいをもたらす象徴的暴力として作用する。P54 マルクス主義はこうした教養主義的空間における罠やしこりを一挙に解除した。教養主義を敵体分子と決めつけ、象徴的暴力関係の逆転をもたらしてくれるものだった。マルクス主義は学識的な「貯金」をため込まずに象徴的暴力を振舞えるという意味では教養主義の荒技であった。
日本の貴族主義の生産工場であった帝大の文学部は他学部に比べて「農村的」で「貧困」で「スポーツ嫌い」「不健康」という特徴が抽出された。117
フランスの文系ノルマリアンは、地方の下層中流階級や民衆階級にしてみれば、言語資本や文化資本による見えざる選別が行われるために、門戸が極端に狭い。126 近代日本では逆に、理学部のほうが文学部よりも出身階級が高く、都市出身者が多かったのである。127
学歴貴族の仲間であり、且つ周辺(中退、選科)であることは、岩波と執筆者の間に了解圏と距離化の二重性をもたらした。この二重性こそ岩波文化成立にとって重要である。P148

帝大教授の著作出版を通じて、官学アカデミズムに正統性を賦与される。逆に官学のほうでも、自らの正統性証明のために民間アカデミズム(岩波文化)に寄り掛かった。岩波文化と官学アカデミズム(帝国大教授陣)は、文化の正統化の「キャッチボール」をすることでそれぞれの象徴資本(蓄積された威信)と象徴権力を増大させていったのである。P160
日本近代教養主義は、農村エートスを定礎としたもの。
井上俊によれば、教養の機能として「適応」「超越」「自省」の三つがある。1970年代以降、文化の適応機能が肥大化、自省、超越作用の衰え。三つの作用の亀甲と補完の動的関係が喪失している。人間形成には、現実に距離をとる超越性や超越性を相対化する自省の契機が不可欠である。が適応の文化である「キョウヨウ」にはそうした契機が見えにくい。242

(以下hiro)
近代日本で、上層部(華族)での近代化政策の勢いが、市民習俗の教養主義を加速させたという指摘。本書で言われる岩波愛は、確実に自分の中に生き続けている。帝大時代から連続している習慣だと知って、複雑な気持ちになってしまう。自覚はしてたが、「スノッブ」の揶揄はひどい。
教養の復権はありえないだろうが、しかしその(西欧主義的)偏愛癖は、日本人の根底部で未だ生き続けているように思われる。現在は、社会の要請から、教養が実用性の高い知識に洗練されていき、その過程が、もはや極まった状態にあるのかもしれない。

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