読書:カール・シュミット『政治神学』

ゼミ向けに作成したレジュメを掘り出したので、更新の途絶えていたブログにアップしておく。友-敵の理論が有名なシュミットだが、本書も政治の本質を突き詰めていくスタイルであり、『政治的なものの概念』と併せて読みたい。初学者・後学者のために…

主権の定義

主権者とは、例外状況にかんして〔ママ〕決定をくだす者[p11]

  • 例外状況とは、国家論の一般概念として理解すべきものであり、何らかの緊急命令ないし戒厳状態の意味ではない
  • 「例外に関する決定こそが、すぐれた意味において、決定なのである。」
  • →平時の現行法規があらわしているような一般的規範では、絶対的例外は把握しきれず、真の例外状況が存在しているという決定は根拠付けられない。
  • 主権の定義として議論されるのは、「公共ないし国家の利益、公共の安全及び秩序、公共の福祉等々が、どこに存するかについての決定を、紛争時には、だれがくだすのか」[p12]
  • 例外事例すなわち現行法規に規定されていない事例において、主権一般の問題が現実化する
  • 「この主権者は、現に極度の急迫状態であるか否かを決定すると同時に、これを除去するために何をなすべきかをも決定するのである。」[p13]
  • 主権者は、平時の現行法秩序の外に立ちながら、しかも、憲法が一括停止されうるか否か決定する権限をもつがゆえに、現行法秩序の内にある。
    • 法を超越し、何が「法」であるのか、「常態/例外」を決断できる存在[主権者]がいないと、法はその機能を発揮しえない。主権者は法秩序の不可欠な条件である。

ボダンによる「主権の真義」

  • 主権者は、どの程度まで法律に拘束されるか
    「約束というものは拘束力を持つ。ただし、急迫事態においては、この拘束は、一般的・自然的法則にしたがって解消するのである

    • ボダンの革新性は、緊迫状態を持ち出し、決定という要素を主権概念に組み込んだ点
  • ボダンによると、王侯と諸身分は互いに無用化の可能性を持つのは道理に反する →現行法を廃棄する権限が、まさに主権の本来の識別徴標[p15]なのである
  • 主権したがって国家自体の本質は、国家内部に生じる対立に決着をつけること[p16]
  • いかなる秩序も決定に基づくために、決定主体[軍国主義的官僚、商業的精神に支配される自治体など]によって例外状況か否かの線引きは千差万別
  • 「法秩序といえども、すべての秩序と同じく、決定に基づくものであって、規範に基づくものではないのである。」[p16]
  • 主権の問題は、この概念の具体的事実への適用にかかっている
  • 国法学的議論において、論争はこれまで規定されていない事項に対して、誰が決定すべきか、が中心であった=「例外事例、極度の緊迫事態に関する議論」[p17]
  • 一般的法律家にとって、日常の問題だけが関心対象であり、主権概念には無関心
    • しかし現行全秩序が停止した例外状況において、法律家は為す術がない。
    • 「この状態が出現した場合、法は後退しながらも国家は依然として存続するということが明白である」[p19]
  • 「法-秩序」を構成する二要素[法/秩序]は、例外状況では相対化し、それぞれの概念的独立性を表明する[p20]
    • 法学的な見方では、「法秩序」こそ「国家」を成り立たせる根源
  • シュミットの見方では、「国家」を存立させるのは「法」に先行する「秩序」である。「法」要素が抜け落ちて、「秩序」が剥き出しになった「例外状況」における主権者の「決定」は、「秩序」の存在を再確認する。
  • 規範の集積である「法」と、安定状態を指示する「秩序」は区別されるべき別概念。[例外状況では、「秩序」を維持することと、「法」を適用しようとすることは別である]
  • 「例外状況が、その絶対的な姿で出現するのは、法規が有効になりうる状況が作りだされたうえでのことである。いかなる一般的規範も、生活関係の正常な形成を要求するのであって、一般的規範は、事実上それに適用されるべきであり、かつそれを規範的規則に従わせるのである。」[p20]
    • 法規が適用できる[常態]が存在して初めて、例外状況を確定できる。生活関係の事実上の正常性が、「規範」の有効性は保証する。[規範は、同質的媒体を必要とする]
  • 生活関係に築かれる正常性がシュミットの言う「秩序」であり、「規範」適用のための媒体となる
    • [「規範」を通用するために、「生の諸関係における正常性=秩序」が不可欠]
  • 主権者は正常か例外状況を決定する権利をもつ[決定の占有]-法規範から分離
17世紀の自然法 18世紀[ロックの法治国家論と合理主義]
例外事情の生々しい自覚 例外事情は考量不能
30年戦争、ペスト、魔女狩りなど社会不安 比較的安定した秩序[~仏革命]
  • 法律学的合理主義者にとって、規範・秩序が法から定着することは容易に理解できる。
  • かれらにとって、常態こそが科学的関心の対象。例外は合理主義的図式の統一と秩序を乱すもの。[p22]
  • しかし、例外状況を無秩序と区別するかぎり、法律学上の問題は解消しない。
  • プロテスタント神学者「例外は一般を説明し、かつそれ自身を説明する。一般を正しく研究しようと欲するならば、ある現実的な例外に目をくばりさえすればよい。」[p23]

法の形式および決定の問題としての主権の問題

  • 「法的に独立した、演繹できない最高権力」という主権の定義が、いつの時代にあっても維持されてきた
    • 16世紀、ヨーロッパの民族国家への最終的解体および絶対君主と諸身分の闘争からボダンの主権概念が生まれる
    • 19世紀後半、ドイツ帝国にあっては、連邦内諸国家の主権画定の際、主権概念と国家概念を区別することで、連邦諸国家に国家としての正確を認めつつ、主権を認めることを免れる
  • だが、上記の主権定義は、現実の因果律から導き出されるわけでもなく、実態に即した適切な表現ではない。なぜなら、自然法的な確実さで機能する最高・最大の権力など、政治的現実の中に存在しないからである。[p26]
  • 「権力[ここでは物理的権力の意]は、法について何の証拠にもならない。[略]力は物理的権力であるし、強盗の発射するピストルもまた権力であるのだから」
    • 物理的権力による支配は、また新しい実力者が出現すれば既存の支配は崩される、不安定なものであって、法=権利には転化しない。
  • したがって、主権とは事実上の最高権力と、法的最高権力から構成される。

ケルゼンの主権概念理解

  • ケルゼンは「社会学-法律学」の対置を用いて、主権概念論争の解決を試みる[p27]
    • [ケルゼンは]存在-当為、因果的考察-規範的考察、など社会学的要素を法律的概念から分離することで、根本規範に対する帰属の体系を引き出そうとした
      • 「純粋法学」の用語である「根本規範」は、数学の公理のように、そこからすべての法規範が論理的に導き出されてくる、大本の規範のこと。法律以外の影響を受けることがない。
社会学的要素 法律学的要素
存在 因果的考察 当為 規範的考察
  • 結果、国家は[略]法秩序そのものにほかならない、と結論づける
    • ケルゼンによれば、「国家=法秩序の作成者」と言う表象は、実体化に過ぎず、「国家/法秩序」とわざわざ二主体に分割していることになる
  • 「最高権能は、一人格ないしは社会学的心理学的権力複合体に帰着するのではなく、ひとえに、規範体系の統一として、主権的秩序そのものに帰着するのである。」[p28]
  • 「国家」は、規範体系の最終帰属点であり、演繹が終始する最終到達点[これ以上演繹しえない秩序]
  • 「規範が有効となる根拠は、これまた規範でしかありえない。従って法律学的考察にとっては、国家は、国家の憲法すなわち統一的根本規範と同一なのである。」[p28]
  • 「体系的統一は、ケルゼンによれば、『法律学的認識の自由な行為』である。いま、興味深い数学的神話、すなわち、点は秩序であり体系であり、規範と同一たるべし、という論はさておいて…」[p29]
    • 「法律学的認識の自由な行為」とは、経験的・帰納的な法適用から「自由」に、法律学的論理に従うこと
    • 個別規範の最終帰属点である「根本規範」に至るまでの演繹の体系が「国家=法秩序」だとすれば、「根本規範」[=点]は「国家=法秩序」でもあるという法論理の神話を、シュミットは示唆している
    • 「様々な帰属点への、様々な帰属の、思考上の必然性および客観性は、もしもそれが実体的な規定すなわち一つの命令にもとづくのでないとしたら、何にもとづくのであるか」
      • ケルゼンが考える「法規範」の相互関係は、政治的現実に対応しているとは言えない。人格的な主体による意志的な「命令」なしに、帰属の体系を現実に対応させることは出来ない[実定法の体系にケルゼンの法秩序が対応していない]
    • ケルゼンは「主権概念は断固排除されなければならない」と結論づける。[P31
      • 法律家の自由な行為が形成する規範の帰属体系だけに目を向ける「純粋法学」は、例外状況に顕在化する主権概念を断念してしまう

※クラッペの法主権説[p31]

  • 「主権は国家ではなく法である」
  • ケルゼンは自らの「法秩序=国家」説の先駆とみなす
  • 「法秩序の根底、根源は『民族協同体の法感覚、法意識の中に見出される。』」[p32]

※団体理論[p34]

  • 法と国家は同格の権力であり、人間の共同生活を構成する独立の二要素
  • 革命時-法的連続性の断絶
  • 平常時-法と権力が新たに生じ、断絶は治癒
  • しかし、国家が法を追認するのみ「立法」の役割をこなすだけ[外的形式的価値]で、もはや国家を主権者とは見なせない
  • ボルツェンドルフの純粋国家
    • 国家と法は互いに依存するものの、基本的な原理である法が国家を制約
    • 国家の機能を、秩序維持の奉仕に限定
    • 国家は「責任を負い、究極の決定権を持つ保証者」
  • クラッペ、プロイス、ケルゼンは、国家概念から人格的なものを消滅しなければならないという点で一致
  • 決定規範としての法規は、以下に決定すべきかを述べるにとどまり、誰が決定すべきかに触れない[p45]→究極の機関が存在しなければ、誰もが自己正当性を主張する。そして究極の機関を決定法規から導き出せない。

政治神学

  • 「現代国家理論の重要概念は、すべて世俗化された神学概念である」[p49]
  • 「例外状況は、法律学にとって、神学にとっての奇蹟と類似の意味を持つ」
神学 奇蹟 神が定めた自然の法則に則って世界が運行される。奇蹟の瞬間、人々が神の存在を認識する。
法学 例外状況 法律は日常の規範として作用しているが、例外状況では[主権者]が現れて、法律の本質が明らかになる。
  • 現代国家理論は、奇蹟[=例外状況]を拒否する神学を踏まえて確立
  • 法律学と神学は、理[自然神学と自然法学の基盤]と書、すなわち実程的な啓示と指示の書、という共通点を持つ
  • 「ケルゼンに帰すべき功績は、[略]神学と法律学との方法論的親近性を指摘していることである。[略]彼が、国家と法秩序とを法治国家という形で同一化する根底には、自然法則と規範法則とを同一化する形而上学が存在するからである」[p54]
    • 自然界における自然法則と、規範の世界における規範法則の対応
    • 自然科学的法則によって支配される国家の現実と、規範的法則によって支配されている国家=法秩序が一つの秩序をなしているという意味での同一視
    • この形而上学では、あらゆる恣意性を排除し、いかなる例外も排除する[ケルゼンの形而上学は、自然科学のように偶然性・擬人化を排して、例外状況、ひいては人格的な「主権者」を排除する]
  • 「主権概念の社会学にとっては、法律的概念の社会学一般についての理解が、不可欠の前提である。かの神学的概念と法律学的概念との体系的類似は、法律的概念の社会学が首尾一貫した根本的なイデオロギーを前提とするものであるからこそ、ここで強調する必要がある。」[p56]
    • 純粋法学において、神学を放逐したとしても、法学の社会学的側面に注目する場合、否応にも歴史的な神学との関係、そのルーツに突き当たってしまう。したがって、神学を切り離すことができない。

神学―独裁的な構造

プルードン、バクーニンのような無政府主義者は、ひとは本来善であるが、独裁的な統治形態が人間をだめにしているという前提であらゆる統治に反対【性善説、反神学的】

ド・メーストルやコルテスは人間は罪人であり、どんどん堕落していくがゆえに、正統性と秩序を保つため、絶対的な統治の必要性、必然性を主張【性悪説、神学的】

上記二つの構造が弁証法的になっていく

参照文献

仲正昌樹. (2013). カール・シュミット入門講義. 作品社.

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