翻訳:リチャード・ドーキンス 『利己的な遺伝子』 ガーディアン紙「ベスト・ノンフィクション100」

ご無沙汰していたブログ更新です。今回はガーディアン紙の特集で面白いモノがあったので、そちらから翻訳しました。

ドーキンスの本作は、大学生(特に理系)なら一度はチャレンジしてみたことがあるでしょう。どちらかというと生物学に疎い私でも、SFにはどっぷりはまっており、その延長で『利己的な遺伝子』を読むと、あら不思議、ディストピア風な世界観が待ち受けているではないですか(もちろん価値観をこの本に持ち込むのはナンセンスなのは承知してますが……)。

ソラリス』と『Brave New World』のあいだに収めているような読者を受け入れてくれるのかはわかりませんが、あまり難しいことは考えずに、ダーウィニズムとの位置関係を理解するため書評を翻訳しています。誤訳などあったら指摘していただけるとありがたいです。

(以下翻訳)

The 100 best nonfiction books: No 10 – The Selfish Gene by Richard Dawkins

人類とは何なのか、なぜ存在するのか――ダーウィンが1,859年に『種の起源 』を発表するまで、歴史上、だれも私たちの存在理由を理論的に説明したことは無かった。ダーウィンは、この素朴な疑問に対してこう答える。――チンパンジー、人類、トカゲや菌類など、すべての種は「自然選択(淘汰)」というプロセスにしたがっておよそ30億年にわたり進化を続けてきたのである、と。

だが、出版以来著作にまつわる議論が過熱したあと、彼の有名な理論は関心を払われなくなった。それから100年後の1,960年代、陶酔感と創造性に満ちあふれた時代、新世代の野心的な生物学者たちは、ダーウィンの進化論の再発見と刷新という、滅多にない瞬間に立ち会っていた。

ハミルトンやウィリアムズなどの著名な先駆者たちに引き続いて、ドーキンスは自然選択の性質にかかわる多様な理論を総合して、広範囲にわたる示唆を後代に残しながら、概念的構想として組み立てたのである。

『利己的な遺伝子』というタイトルは、オスカー・ワイルドの『わがままな大男』を無意識にまねたものらしい。かれは詳細で発展的なネオ・ダーウィズムこそが生命あらゆる説明をなしうると確信した。

「自然選択の基本的な単位、すなわち利己的である単位とは何か。種、群れ、そして厳密に言えば、個体も違う。それは遺伝子である」

このドーキンスの主張は、シンプル、かつ重大なものであった。最初は極論のように響くことは認めつつも、この主張に照らし合わせ、読みやすく興味深い方法で主要な社会理論を概観する。

各章において、利他主義と利己主義の概念、攻撃行動の進化、血縁選択説、性別比率説、互恵行為、詐欺行為、そして性別自然選択について論じている。今にしてみれば、『利己的な遺伝子』の出版はアレックス・コンフォートの『The joy of sex ふたりだけの愛のよろこび』やジャーメインの『去勢された女』の後に早めた方が良かっただろう。

最初のページから陽気でいて好戦的な語り口が展開される。ドーキンスが断言するように、読者の想像力に訴えかけた作りから、『利己的な遺伝子』はサイエンス・フィクションのように読んでかまわない。

この本の秘める衝動は、彼の興味深い確信「人類が生存機械-遺伝子として知られる利己的な分子を保存するようにプログラミングされたロボット型の乗り物-であるという科学的な世界観を探究している」に部分的に由来する。この洞察は「いまだに私を驚嘆させる事実でもある」

この著作の魅力の大部分は、ドーキンスの抑えきれない興奮と、華々しいアプローチの酩酊感で沸き立つ散文にある。彼は逆説や挑発を駆使して、読者を長旅にいざなう。最新版の序文で、本作の熟成を次のように説明している。:70年代初めの、停滞と業界内の論争の絶望、それに興奮熱が交わった状態で書かれたのが本書であると彼は語る。この時期は、若きドーキンスにとって新しい考えが湧き出てくる神秘的な時代であったのであろう。

時代精神とも言えるこの本の出版は、好意的に受け入れられた。

当初は議論を巻き起こす著作とは見なされていなかった。「この本が議論を呼ぶには数年の歳月を必要とした」と彼は書く。かなり急進主義的なものを見なされた。しかし「極論という評判が広がりはしたが、しだいにその評判も鎮静化していった」

『利己的な遺伝子』がオーソドックなネオ・ダーウィズムから派生しながら、実のところダーウィン自身も歓迎するようなやり方でダーウィズムを表している。個体に焦点をあてるよりも遺伝子の観点から自然界を捉えようとする本書は、「理論の相違ではなく、視点の違いを提示する」。

本書はゼネラリスト、専門家、学生の3種類の読者を想定して書かれている。これらの読者たちによって、すぐさま世界中のベストセラーリストに入り込んだ。時代の空気を踏まえて、出版当初から「動物行動に関する本」として「私たちは、他のあらゆる動物同様、遺伝子によってつくられて生存機械である」と主張し続けてきた。ドーキンスは「私たち」という言葉を「人間」として使っていたわけではない。彼は自らの説明がすべての動物、植物、バクテリア、そしてウィルスに適用できることを望んだ。

「地球上の生存機械の合計を数えることはかなり難しい」と言い、種でさえはっきりとしていないと認める。「昆虫のみを考えると、個体の数なら100京になるかもしれない」

ドーキンスは、のちに論争を引き起こす『神は妄想である』のような本で再び見られるスタイルで、研究対象を包括的に理解していた。たとえば、彼は「動物」でなく「生存機械」という言葉を使ったのは、すべて植物や人類をも指示するためであった。彼が言うように、この本の主張はすべての「進化する存在」に適用すべきなのである。

彼は伝統的なネオ・ダーウィズムかもしれないが、第11章では、国際的に知性を有したコミュニティのあいだをウィルスのように拡散する文化の伝達について、主張を繰り広げている。この章で出てくるミーム(自己複製装置)とは、摸倣の単位である。ミームには音楽、考え、キャッチフレーズ、ファッション、鉢の作り方や建築法まで含まれる。「遺伝子が精子・卵子を媒介して遺伝子プールで増殖すると、広義での摸倣と呼ばれるプロセスを通じて脳から脳へ広がってゆきミーム・プール内で増殖する」

この分析からドーキンスは「神」をミームとして特徴付けた。したがって、原書p192-193はリチャード・ドーキンスの偉大な功績を凝縮していると言えよう。進化論は地球上生命体の複雑性にかんする説明を、不足なく完全な提示しており、もはや創造説が存在する可能性は残されていない。

アフィリンクです(汗)

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