翻訳:ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』ガーディアン書評

世界史の勉強はしてきたつもりだったが、視点や書き方によってこうも面白くなるのかと感服したしだいである。本書の一番の魅力は、読者に思考を促すことにある。著者は無知な人間を想定していないらしく、いちいち講義などしない。こうした接近の仕方に反応するように、世界の発展をどのように捉えているのかを知りたい気持ちにさせてくれる。私感として、読者を信頼することで生まれた知的雰囲気を帯びていると言える。

少し気がかりなのは、著者の大雑把な断定や文化、貨幣などなどの漠然とした理解をベースに構成されている点で、確かに歴史初学者にとっては良いかもしれないが、一般読者は過信は禁物である。

初期の人類を扱う章、特にホモサピエンスと他の種との交流部分は読者の心をわしづかみにすることだろう。まずはそこを読んでから読書を続けるか判断すると良いかも。本全体の批判者でも、この部分だけは褒めていることが多い。

Sapiens: A Brief History of Humankind by Yuval Noah Harari – review

https://www.theguardian.com/books/2014/sep/11/sapiens-brief-history-humankind-yuval-noah-harari-review

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(以下訳文)

ヒト属である人類はおよそ240万年も存在し続けている。だが大型類人猿の中でも邪悪な種であるホモ・サピエンスは、その6%の期間(約15万年)しか存在していない。だから『Sapiens』というタイトルにサブタイトル『A Brief History of Humankind』を付けるのはふさわしくない。

なぜユヴァル・ノア・ハラリが著書の95%をも種を題材にしたのかは想像に難くない。我々は無知ではあるが、自らについてのほうが、地上を歩くようになってから絶滅したような人類の他の種についてよりもずっと詳しい。それにしても、サピエンスの歴史が扱う範囲は人類のごく短い期間に過ぎないという事実に変わりは無い。

怒濤の400ページでこの洞察が伝わるかと言えば、そんなことはない。時間の簡単な通史の方がまだ簡単だろうし、ハラリは過去よりも我々の現代に重点を置いて本を構成している。だがサピエンスの物語に潜む深い部分は全く議論の対象にされておらず、彼はこれらの問題に取り組んでいる。

前半部では私たちの存在を扱い、そして一連の「革命」を経験する。第一の「認知革命」では、約7万年前の私たちは以前よりも創意工夫をこらすようになった(この要因は依然はっきりしてない)。そして急速に地球全体に散らばった。

約1.1万年前の「農業革命」期、生活様式を狩猟採集から飼育に転換。さらに約500年前の「科学革命」期に突入、ここから「産業革命」へと歴史は続く。その後の生物学革命はまだはじまったばかりである。ハラリはこの生物学革命を、サピエンスの終焉を示していると考えている。生物工学によってつくられたポスト・ヒューマン、非死(amortal)のサイボーグは寿命を超越し、私たちに取って代わるかもしれない。

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聖ミハイール黄金ドーム修道院。ウクライナの首都キエフにおけるキエフ総主教庁ウクライナ正教会の修道院である

以上は1つの説明に過ぎない。ハラリは多くの重要なイベント、著しい言語の発展に注目する。我々は抽象的な物事を明確に思念し、巨大な数の人間と協力するようになった。そしておそらく最も決定的なのは、「おしゃべり」ができることだ。ここに宗教が隆盛し、多少有害な一神教が多神教の版図を狭めようとする。さらには金と、もっと重要な、信用(credit)が発達する。以上の事柄と関連して、資本主義と同様に帝国や商圏も拡大したのであった。

広大かつ複雑な問題を、魅力的でありながら読者にとって有益な方法で描き出す。たとえばこんな巧みな表現を使っている。

“we did not domesticate wheat. It domesticated us.”

「ホモ・サピエンスがそれらを栽培化したのではなく、逆にホモ・サピエンスがそれらに家畜化されたのだ。」

ハラリによれば、「人類と穀物のあいだで交わされる、ファウスト的取引」において、人類は自然との親密な共生を捨て去り、貪欲と疎外感にひた走っていく。しかしこれは良くない取引であった。「農業革命は歴史上最大の詐欺」であり、食事量を減らすのみならず、長時間労働、飢えや感染の可能性、新しい不安とより醜悪な階層制を広げていった。

石器時代のほうがまだ暮らし向きは良かったのかもしれない、とハラリは考えている。工場方式畜産のたちの悪さについてはこう述べる。

“modern industrial agriculture might well be the greatest crime in history”

「近代に生まれた産業型農業は、人類史上もっとも恥ずべきことかもしれない」

感情と欲望の基本構造はこれらの革命のなかで取り上げられていないという一般的な意見に、彼は同意している。

「食事の癖、不和やセクシャリティは、我々の中に眠っている狩猟採集の心理が、巨大都市、航空機、電話やコンピュータなどであふれたポスト工業化の環境に作用した結果なのだ。過剰に冷蔵庫が設置された高層ビルに我々は住んでいるのかもしれないが、DNAはいまだにサバンナに住んでいると勘違いしているのだ」

彼のお馴染みの説明では「砂糖や脂肪を強く要求することで、不健康や容姿の醜さに結びつく摂食の手軽さがもたらされる。ポルノ消費は良い例だ。それは過食同然であり、もしポルノ狂が身体のようだったらかなりの肥満体であったことだろう」

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タイのバンコクにあるワット・プラ・タンマガーイ寺院を覆う金の像

ある部分では、ハラリは科学革命を主導したのはギルガメッシュ・プロジェクトであると述べている。「人類に永遠の命をもたらすため(あるいは非死)」。1900年時点では、人体について(人類は)無知であったことと、その後の1世紀のあいだに獲得された膨大な知識を考慮して、彼はプロジェクトの最終的な成功について楽観視している。だが非死は「不死」ではない。それは事故で死にうる状態で、致命的な外傷がない限り、無限に寿命を延ばすことができる。そして非死が私たちにとってどれほど良いことなのかも彼は懐疑的だ。

非死の身となれば、我々はヒステリック気味に注意深くなるかもしれない。非死の人間の死は、ずっと悲惨かもしれない。太陽の下だけでなく、天国に行ったとしても、あらゆるものに退屈するかもしれない。(指輪物語の)トールキンのエルフが、彼ら自身が持たない「死」を人間にプレゼントしたのも、こうした文脈で納得がいくものとなる。

あらゆる点を脇にのけても、非死が我々に幸福をもたらすとは考えにくいだろう。人間の幸福度は日に日に物質的環境と関連づけにくくなってきていることを示す研究を、彼は引用している。たしかにお金は重要だが、それは貧困から脱するときだけだ。その後はほとんど変化をもたらさない。くじに当選した人は自らの幸運に高揚することだろうが、およそ18ヶ月後には彼の平均的な幸福度はもとの水準に戻っていることであろう。もし正確な「幸福度計」なるものがあって、(カリフォルニア州)オレンジ郡からカルカッタのストリートに移動するとして、最初の地点が次の地点より高い目盛りを示すとは言い切れない。

本書の大部分は興味深く、巧みに書かれている。だが、読み進めるにつれて、本の魅力も不注意、誇張、扇動で、本の全体的な出来に影を落としている。彼の規範や「例外は規則のある証拠」という表現の誤用は気にしてはならない。一面的な判断、無茶な因果関係認識、つじつま合わせのデータの拡張・切り落としなどは、破壊行為のようにも思える。もしギリシャが独立戦争に負ければイギリスの投資家たちは賠償金を支払わなければならなかったという事実から始まり、続けざまにこう述べている。

“the bond holders’ interest was the national interest, so the British organised an international fleet that, in 1827, sank the main Ottoman flotilla in the battle of Navarino. After centuries of subjugation, Greece was finally free.”

「債券保有者たちの債権は国全体の債権だったので、大英帝国は多国籍艦隊を組織し1827年にナヴァリノの戦いでオスマン帝国小艦隊を撃沈している。数世紀にわたる服従を経て、ギリシャはついに独立した(翻訳p154)」

これはかなりの曲解であり、ギリシャも当時はまだ独立できていない。どれほどの曲解なのかは、Wikipediaナヴァリノの戦い見出しを確認すれば十分理解いただけよう。

ハラリは「モダン・リベラルカルチャー」を嫌うが、彼の批判は劇画的で、それは彼自身に返ってくる。近代のヒューマニズムは宗教であると、彼は言う。それは神の存在を否定しない、すべてのヒューマニストはヒューマニティを信じる、近代ヒューマニズム思想と最新の生物科学の”割れ目”は日に日に開きつつある。

これはばかげている。貪欲の使徒として再度かり出されているアダム・スミスを見るのも忍びない。ただ、「札端の詰まったスーツケースを渡して家を買うのは犯罪者ぐらいのものだ」という主張はおそらく正しい。ロンドンの高級住宅市場において約35%の購入が現金で払われていることを考えると、この主張は痛快である。


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